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2017年2月21日火曜日

トコイトコイ倶楽部

26(日) 乃木神社骨董蚤の市に出店

インスタグラムも見てくださいな→👃


 部屋に射し込む陽の光が、刻々と蕾をほころばせていくことを予感させる月曜日の朝。それなのに、遠くで聞こえてくる音ァありゃなんだ、と三上寛の歌詞のような文句が不意に口をついて出てくるのはなぜでしょうか。耳を澄ませばたしかに聞こえてくる・・禍々しさと神々しさが入り混じる、張りつめた獣皮を叩き続ける音が。というわけで、埼玉県川越のうつわノートにて開催中の噂の展示会『遠くの太鼓』へ行ってきました。
 この展示は、器屋さんが閑散期の埋め草に催した余技ではありません。余技というにはあまりに濃厚すぎて息の詰まる展示であり、オーナーの松本さんも本当はこんな事をしていたら、あとに控える本職に差し支えが出てくるでしょう。それでもやるのは、過不足のない形を以て美と為す用の器と、過剰と欠如に満ちた造形の不穏さとの間に接続面を見出してみたいという探究心のなせる業でしょうか。あたかも、作り手と使い手を繋ぐ器屋店主としての公式の仮面を脱ぎ捨て、その面貌を国際暗黒プロデューサーに切り替えて見せたかのようです。
 玄関正面に掲げられているのは、吉原航平さんの木炭による図像です。これを端的に絵画と呼んでいいのかは分かりません。その下には泥で作られたという偶像が数体置いてあり、一見古いもののようですが、これも吉原さんの作です。聞けば、その製作場所には深夜のファミレスが多く使われたとのこと。真夜中に繰り広げられる不可解なひとりワークショップ。店舗責任者がきちんと警察に通報したのか気になります。罪状不明でも一時的に拘留した方がよくはなかったでしょうか。と、誰もがそんなことを思わずにいられない気配に満ちているのが、吉原さんの作るものです。とはいえ、脳内アーカイブと手の連携が見事に機能していて、迸る身体性といったものを感じるので、ただ不気味なだけではなく、そこに洗練が加わっているのが吉原さんの特長のように思います。
 中川伸二さんの出展物はさすがコレクターによるものだけあって、選り抜かれたものばかりで、フロイトやアンドレ・ブルトンのコレクションのようです。集めるという主体的な意志によるからなのか、質量ともに体系的に揃っていてすごい見応えです。個人コレクターの秘蔵を目にする稀な機会ではないでしょうか。スラウェシ島の岩墓の扉なんかは、知らずにいればチーズでも盛って食卓に供してみたいものです。
 そしてSezuanの旦那、岩橋直哉さん。出会い頭の瞬発力で集められたものたちの顔ぶれにまさに衝撃を禁じえません。なぜこんなものが世に生み出されたのかという驚きと、なぜこんなものを買うんだという驚きの激突から生じるエネルギーの総量には凄まじいものがあります。どれも豊穣や鎮魂、呪詛や祝祭といった意味に満ちすぎていて、日本人が得意とする見立てが介入する余地がありません。ティモールの骨仮面は、裏返せば取り皿として使えそうですが、そういう問題ではないでしょう。
 只ごとではない余白の無さを前にしては、間の美学は通用しません。Less is moreに逃げ込めないこの居心地の悪さは、ものを作ったりものを売買することを生業にする人たちに突きつけられた課題のようです。単に異形のものを並べて耳目を集めるのとは違う、重層的なテーマを掲げた展示会です。太鼓の音に導かれつつ川越に押しかけることが、この二月の正しい振る舞いです。


こうして見るかぎりは、いつもの静謐な佇まい
なのですが・・。             

吉原航平作品群

紙偶



ニャンコ♡

床の間に並ぶ木彫像たち 

妖しさと美しさ

 




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