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2018年10月31日水曜日

鎌府で古物と拉麵を

 イベントのお知らせです。11/10(土)・11(日)に神奈川県鎌倉市西御門一丁目の西御門サローネにて『秋の鎌倉古美術展』が開催され、そこに当店も初出展いたします。時期が押し迫ってきましたので、微力ながら宣伝を。とはいえ、鎌倉は歴史の濃密な土地ですから、場所のエナジーに見合うだけの宣伝をどのようにしたものでしょうか。
 今から1億3000千万年前の中生代白亜紀の頃は、日本列島はまだユーラシア大陸と地続きでした。その大陸プレートに太平洋プレートやフィリピン海プレートが沈み込む運動によって徐々に大陸から切り離され、弧状列島の原型が形成されたのは、始新世(5600万年前〜3400万年前)頃だと言われています。それから数千万年後の大正15年、鎌倉西御門の地に作家の里見弴が自ら設計に携わって住んだ家が、この度の会場である西御門サローネです。西御門の地名は、鎌倉時代に源頼朝の邸宅である大倉御所の西門があったことに由来するそうです。そんな場所に並べるとあれば、相応の品物を用意しなければならないのでしょうが、そこは機縁にまかせるしかありません。大事を為そうとする者は細かいことを気にするな、と頼朝も言っています。
 やはり考えるべきことは、どこで腹ごしらえをするかです。参加が決まってから折を見てネットで検索してみたのですが、一軒気になる店が。御成町に「静雨庵」というラーメン屋があって、なかなか美味そうながら、営業時間が11時〜14時半までなんです。日曜は定休で、土曜は搬入陳列を終えてお客さんをお迎えしなければいけないわけですから、ちょっと行けそうにありません。もし今回の展示に際して食べる機会のあった方は、感想をお聞かせ願えたら幸いです。皆さまのお越しをお待ちしております。

幕末の看板とか朝鮮時代の民具とか芝浦電気の扇風機とか、
いろいろ入ってますので、お店にもぜひお運びください。 

2018年10月27日土曜日

韓国紀行 壱

 思うところがあって韓国へ行ってきました。と言うほど特に何も思ってないのですが、とにかくソウル駅に隣接する市庁区域に宿を取って、そこを始点にして、気になるところを廻ってきたのでした。何が気になっていたのかというと、まずは国立中央博物館です。おもに朝鮮王朝時代の器物を見て、古物業者としての見識を少しぐらいは高めた方がいいかもという腹づもりでありました。先日見た民藝館の『白磁』展の李朝が、抵抗なく目に収まる感じに比べると、中央博物館とか大阪東洋陶磁の安宅コレクションの収蔵品は、遥かに手強いです。目の前に出てきても、どうせ買えないからと遠目で見てる感じ。圧倒的な楷書感。中国陶磁のすぐ隣りっぽさが濃厚。民藝館のものなら買えるというわけではもちろんないですが、戯れに脳内で値踏みぐらいは人はしてみるものです。が、こっちは無理。8000万なのか25億円なのかよく分かりません。分かったとしても、どうにもならず。自分の朝鮮陶磁の見方は、明らかに柳宗悦とその仲間たちの好みを刷り込まれたものです。
 この博物館のすごいのは、収蔵品と陳列の怖るべき充実ぶりにもかかわらず、入館料がタダということです。タダより高いものはないという考えが身に沁みた苦労人だと、怖くて入れないのではないでしょうか。でも簡単な手荷物検査を済ませたら、あとは本当に見放題です。この日は実は、はじめの方の考古遺品に目を奪われ過ぎて、陶磁器を見る時間がほとんどなくなってしまいました。閉館のアナウンスが聞こえたあたりから、『はなればなれに』のルーブルのシーンのごとく、閃光のように館内を疾走して無理やり網膜に焼き付けてきたのでした。たしか三嶋の礼賓手が、ズラリとまるで雑器のように並んでいたように思います。
 というわけで、強引なインプットによる疲労でフラフラになりながら、明洞まで出て通りを放心の態でさまよっていました。夕方を過ぎるといっせいに屋台が並ぶ通りがあって、視界に入るたびに気になって仕方ない焼き栗を買ってみました。甘くてほっこり、ではなくて、ボソッとした木の実を食べているようです。あとで聞いたところでは、栗は公州のものが有名で、それ以外は中国ものが混じっていることが多いそうです。これはどっちだったのでしょうか。失われた野性が漲る気がして、自分はけっこう美味いと思いました。初日はこんな感じです。気が向いたら続きを書きます。



アシアナ航空旅客機。小さめですね。 
仁川空港。荷物受取りのコンベア好きを集めて何かイベントを
催してみたい気がします。                

韓国の電話ボックス

街並。 
国立中央博物館。豪壮で先鋭的な感じがまったく写っておらず。


こういう形の塗りの高杯、初めて見ました。

なんて丸いんだ!と声を上げずにはいられない。

消火器が銀色

以前に扱ったことのあるものと同じ手がありました。蓋と身が
合ってないのでは、と思ったのですが、ほんとにこういうもの
なんですね。伽耶のものだそうです。           

金属器のような厳しさ。

200円入れたら動きそうな形。

金宗學さん寄贈の木工コーナー。薬箪笥。
文匣。


李朝木工の簡素さと韓国のマンションの造形はやはり
似ているようです。               

 




2018年10月9日火曜日

いざ鎌倉的な

 歴戦の猛者たちの末席に加えていただき、『秋の鎌倉古美術展』に参加することとなりました。11/10(土)11(日)の二日間、11-17時、場所は西御門サローネという古い洋館で、里見弴が大正末年に自ら設計して家としたところでもあります。里見弴は本名を山内英夫と云い、有島武郎と生馬を兄に持ち、彼らとともに志賀直哉、武者小路実篤らの「白樺」同人に参加しました。どういう謂れなのか、志賀たちからは伊吾(いご)の愛称で呼ばれていて、同人中では弟扱いのイジられキャラの役回りであったようです。志賀に対する里見の感情は憧れ交じりの複雑さがあり、折りに触れて衝突がありました。お坊ちゃんどうしの自意識のぶつかり合いでしょうか。里見が小説『善心悪心』を出した時には、志賀をモデルにした登場人物の扱いが志賀の勘気を蒙り、ついに絶交状態になりました。志賀直哉というのは相当に気難しい人で、その直情潔癖から生じる行動に周りの人間はかなり振り回されたようです。正宗白鳥が「資産家だからいいようなものの、あれで生活苦だったら葛西善蔵よりヒドいかも」みたいなことを書いてました。そういう動物じみたところと神様扱いされてしまうような部分の同居が、得体の知れない魅力を放散する源だったのでしょうか。どうも志賀という人間は気に喰わないぜ、と勇んで本人に会いに行ったら、すっかり魅了されて帰ってきたという話は結構伝わってます。里見と志賀の仲も幼馴染みの腐れ縁で、いつの間にか元どおりになりました。里見弴の顔はネットを検索すればいくらでも出てきますが、若い時も老年に至っても、好きな事だけしてきた遊び人みたいな風貌です。なかなかこんな筋金入りの面立ちというのは、昨今ただ界隈を歩いているだけでは見られない気がします。というわけで11/10(土)11(日)の『秋の鎌倉古美術展』、お誘い合わせでもお一人様でも、古都の散策を兼ねてぜひお運びくださいませ!

のっぺりと平たい街の雑居ビルの一室から、自然と歴史が
渦巻く都へ。スケジュール空けておいてください!