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2019年12月18日水曜日

明日香紀行

 出張に前乗りして明日香村へ。石造の遺物を見ておかなければならないという使命に駆られたので、飛鳥駅前で自転車を借りて、古代の息吹が匂い立つ地をトリュフォーの映画のように疾走してきました。日々の行ないからすれば過分なほどの功徳とも言うべき青空が広がっているその下を、自作のまほろばの歌(移民の歌の旋律で)を口ずさみながら、まずは猿石を見に吉備姫王墓まで。砂町銀座の赤札堂の屋上にでも設置されていそうな石造物の和様化以前の造形は、とても飛鳥時代の産物とは思えず、見ていると時空間の歪む感じを覚えます。
 初っ端から興奮の坩堝に投げ込まれ、次に鬼の雪隠&俎へ。こんな考古遺物が、なんの隔てもなく野晒しになっているところが、奈良の恐るべきところです。亀石なんかも普通に生活空間に溶け込んでいて、ハラルド・ゼーマンがキュレートするドクメンタ以上に前衛的な風景です。
 石舞台古墳は周辺が整備されて、やや観光地の趣きを見せていますが、それでもあんな巨石が積み上がって野原に佇んでいる様は、原初的なモニュメントとしてこれ以上手を加えることができない圧倒的な完成度を誇っています。あまりの完成度に腹が減ったので、レストランに入って古代米カレーを食べました。かつて飛鳥の人々も食したのであろうか。いや、そんなわけはない・・と思いを馳せながら。ふと窓の外を見ると、茶色の柴犬と目が合いました。飼い主たちが食事中のため表に繋がれているようですが、ちょっと不安な面持ちです。と思ったら、注文を済ませた飼い主一行が外のテーブルに着いたので、無事に柴と合流。とたんにクルクル回り出して安堵の表情を浮かべていました。これが茶毛安堵明日香ってやつか・・と思いながら次は酒船石遺跡まで。
 この酒船石というのがまた暗黒神話っぽいというか三つ目がとおる的というか、途方もない想像力と接続して何かを産み出す根源のような存在に思えました。小高い丘の上の竹林に囲まれたロケーションが、いっそう神秘さを際立たせています。対して、丘の下にあるもう一つの遺物である亀形石造物というのが、場末の公園の噴水設備のような侘しさを醸し出していました。斉明天皇の時代の湧水施設であったとのことですが、木の樋からちょぼちょぼと落ちる水の音に、遺物としてのリアリティを強く感じました。
 そして次は飛鳥寺。日本前衛芸術の総本山と呼びたくなるほどに、何かしらヤバいエッセンスを凝縮して湛えている寺院ですね。拝観料350円を払って靴を脱いで引き戸を開けて板間に上がると、鞍作鳥作の釈迦如来坐像がいきなり目に飛び込んできます。明日香はいつだっていきなりです。何かを隔てることなく、物との直接対峙。大仏さんは創建の時に据えられた石造台座に安置されていて、研究によるとその台座は創建時から動かされていないそうです。つまり、建立の時以来ずっと同じ場所に鎮座しているわけです。自然物ならまだしも、人工の制作物が1400年も同じ場所に在るという事実の凶暴性に恐れ戦いてしまいます。一画の展示室には創建時の瓦などが惜しげもなく並んでいて、ひと押しすれば、おみやげに一個ぐらい包んでくれるのでは、と思ったほどです。
 境内を西に抜けると、鎌倉時代はありそうな立派な五輪塔があって、これは蘇我入鹿の首塚です。大化の改新で板蓋宮にて討たれた首が600m離れたここまで飛んできたという伝説ですが、こんな前衛的な風景を見てると、伝説ではなくて事実だったに違いないと故なき確信を得ます。
 次は奈良文化財研究所飛鳥資料館。博物館の体裁である分、直接性が薄れて置かれた物にもオブラートがかかって見えますが、石人像とか須弥山石とかの実物を見せられると、存在の耐えられない重さに耐えられなくなってきます。こんな物を作っていた時代との連続性をどこに見出せるのか。線上に平滑に進んでいるような歴史にも、どこかに凹凹の切断があるのだろうと思いました。
 この時点でもう結構な夕方。本当は諸星大二郎感漲る益田岩船を見なければいけないのですが、地図を見ても道が覚束ないし、自転車の返却時間も迫ってるしで、今回は諦めた次第です。簡単な行き方をご存知の方がいらしたら、ぜひご教示ください。
 というわけで、師走の明日香疾走記、令和の騒々しさとはかけ離れた夢のような時間でした。今年も残り僅か。もう少しお付き合いくださいませ。

こういう造形に目が慣らされていないというか、
どう判断していいか分からない物たち。     

吉備姫王墓。

明日香の風景。嘘のように長閑。

鬼の雪隠。割とカッコいい。


鬼の俎。写真だとなんだかよく分からない。


嘘のような。

亀石です。どちらかと言うと蛙みたいですが。

石舞台古墳。かなりコンテンポラリーです。

石舞台の中。


紅葉越しのぼんやりとした石舞台。

古代米カレー。ぷちぷちして美味い。

酒船石。ウオーって声が出ます。

ウオーっ。

ウオ。

亀形石造物。

祭祀用の設備だと言われています。

飛鳥寺銅像釈迦如来坐像。
国指定重要文化財。国宝ではないんですね。

後世の補修がかなり入っているとはいえ、この威容。 

石人像。古代の噴水施設と言われています。

須弥山石。庭園用の噴水施設とのこと。

押出仏・・欲しいですね。

山田寺の窓枠。巨大な菓子型かと思いました。





2019年12月2日月曜日

新しい地図

 国立市のGallery Yukihiraで写真家・岡田将(おかだすすむ)さんの個展『Neo Atlas』が始まりました。一昨年の初冬に当店で開催した写真展の松井寛泰さんを紹介してくれたのが岡田さんでして、言うなれば、彼は縁結びのキューピッドです。そんなキューピッドフォトグラファー岡田将がここ数年のモチーフとしていて、今展のアイコンにもなっているのが砂粒です。砂粒ひとつを光学顕微鏡にくっつけたカメラで撮るわけですが、ただ撮っても顕微鏡の精度が高すぎて一部にしかピントが合わないので、箇所をずらしながら200枚ほど撮って、ピントが合った部分を抽出合成して対象全体に焦点が合ってるように見せているそうです。ということを聞いても、実際にやったことがないので、へえーすごいねと言うしかありません。工芸的な手数の多さを知って、画面の明快さを目にすれば、誰もが「へえーすごい」と言ってしまう。そういう力強さを持った作品です。
 今展ではもうひとつ、荒川の水面の塵を撮った写真が砂写真の対面に並んでいるのですが、これが砂の明快さ・力強さ・必然性といった要素と対比を成していて、とてもいいのです。ちょっと見ると、天体望遠鏡にカメラをくっつけて撮った星雲の写真だと思ってしまいます。そんな宇宙っぽい画面の素材が実は荒川だという事実が、砂の写真がどこかの惑星のように見えなくもないことと共鳴していて、展示タイトルにある"Atlas"に見事に響いていると思いました。
 その対比は作品の価格にも表れていて、価格設定も表現だと考えるならば、作家はかなり大胆なことに挑んだと言えそうです。ぜひ現場に足を運んで実際にプライスを見てください。
 場所は国立駅南口より徒歩8分。12.15(日)まで。12時-19時。月・火曜休廊。時間があるなら反対方向の台形に寄るべきですし、寄った以上は言わずもがなのことですが、プリンを食べなければいけません。


きれいな絵面してるだろ。ウソみたいだろ。
砂粒なんだぜ。それで。と誰もが言わずに 
いられない驚愕を齎す写真。       




宇宙、荒川、塵、水面・・多層的な詩句のような画面。