ページ

2019年3月19日火曜日

苦しまぎれの漆まみれ

 3.28(木)-4.3(木)は会津若松の狂える漆工家 相田雄壱郎の展示会『うるしドリフト』です。オープニングを彩るべく、トークイベントを一本入れました。ゲストは青梅の朱文筵工房で漆器制作を続けている戸枝恭子さんと手塚俊明さん。お二人は古作に感化されて制作することが多いそうですが、そういう姿勢は現代の工芸界においてどのような批評的営為となり得るのか。制作における初期衝動といったテーマを交えながら、相田さんとお話ししていただきます。物を作っている方、物を作る現場に興味のある方、古い物を扱っている方はぜひ奮ってご参加ください!
3.28(木)19時〜書肆逆光にて  参加費 おひとり1,000円
→戸枝さん、手塚さんの意向で参加費は無しとなりました(3.21訂正)。
タダより怖いものはない・・と思わずにぜひお気軽にご参加ください。
ご予約はお名前・お電話番号を明記の上、gyakko3@gmail.comまでお願い致します。

 散文全盛の世にあって、詩歌の類いは周縁で好事家たちによって命脈を保っている感じですが、工芸の世界でも陶磁器がメジャーで漆器はマイナーの立ち位置にあると言ってもよさそうです。ポエジーとしての漆器は死に瀕しているのか、もしくは詩に貧しているのか。今回の相田さんの展示は、そんな漆工家の境涯から軽やかにズレていくことを目指しているように見えます。まるで手遊びのように作られたものが、実はすこぶる真剣味を帯びていて、はじめはそのズレにある種の戸惑いを感じるかもしれません。それこそが相田さんの批評性だとすれば、まずはそこに身を浸すべく、ぜひお運びをいただきたく存じます。皆さまのお越しをお待ちしております。

お配りしているDMの地図に誤りがありました。東西に走る通りですが、
誤:昭和通り→正:八重洲通りです。
迷われた際にはご遠慮なくお電話ください。03-6280-3800
ご案内もしくはお迎えにあがります。

刳り鉢と鎬の皿
巨大なヨックモックのショコラオレのよう

平置きした時にちょっと浮いて見えるのがカッコいい
ですね。                    

裏返すとこんな感じ

刃痕の荒々しさと良質な漆のもたらす質感の対比が
おもしろい鉢                 


相田工房の朱の発色は相当いいです



インスタグラムもぜひご覧ください。店内の商品を紹介しております。→👃

2019年3月7日木曜日

うるしドリフト

 弥生の終わりにイベントを一本入れました。相田雄壱郎『うるしドリフト』3.28(木)-4.3(木)です。野澤亜希子さんによる美しいDMが出来上がりました。店に置いてあるので、ぜひ手に取ってください。DMに載せた相田さんの声明には、用と美を満たすだけが工芸の役割であろうか、そこからズレていく純粋な創作としての工芸もあるのではないか、といったことが書かれています。作ることそのものの快楽を経て得られる「形」を主題として展開してみたいと彼は考えているようです。快楽の漸進的横滑りの実践といったところでしょうか。
 相田さんは輪島に徒弟として入り修業したれっきとした職人です。彼の親方は名の知れた腕利きで、お父さんも民藝筋からはよく知られた塗師であります。さて、ウチで展示をするという話になって「どんな展示にするのか」と聞くと、彼は「家を並べる」と答えました。なぜ漆職人が家を作って並べるのか。三井ホームの住宅展示場じゃあるまいし、隈研吾か中村好文にでもなったつもりでしょうか。しかし彼はたしかに家を作り、すでに実験的に展示会でそれを並べてもいます。それは木っ端切れに窓や出入り口用の穴が刳ってあり、屋根の勾配も付いていて、たしかに家と認知できる最小限の手が加わっています。素朴な郷土玩具のようでもあり、北欧の知育玩具のようにも見えます。不思議な洗練が見て取れて、窓際にいくつか並べておきたい衝動に駆られるかもしれません。
 相田さんは匙好きで、古作の気に入ったものを手元に置いて、創作の参考にもしているそうです。DMに載せた奇妙な透し彫りのスプーンはその一例でしょう。ほとんど一点もので、展示会で並べるとすぐに売れていくとのこと。会期の後半に行っても売れてしまって無いので、実は自分は見たことがないのです。生活工芸と名づけられたシーンがあり、そこで見られる使いやすそうでシンプルな作行きのものとは対極に思えます。修業で培った日用に即した器物からは大きく離れた得体の知れない抽象衝動が、相田さんの中に渦巻いているのかもしれません。まさに横滑りと漂流、このドリフト感をぜひ見にいらしてください。どんな光景が展開するのか、自分も楽しみです。


工芸界を静かに揺るがす作品 
ペドロ・コスタが撮るリスボン郊外の家並みにも
見えてきます。               



ミニマルな営み


椀も並びます。


椀と家。あまり見たことのない光景。

DM。絶賛配布中です。
 ※地図に一点誤記がありました。           
誤:昭和通り→正:八重洲通りです。お間違えのなきよう、
迷われた際にはDMの電話番号にご一報くださいませ。 
ご案内もしくはお迎えにあがります。         


2019年3月5日火曜日

きらきらいし

 古溝真一郎という詩人が七月堂から出した『きらきらいし』と名付けられた第一詩集がとてもいいので、まずは日本語を母語とする人たちに読んでほしいと思っています。地球上には詩を必要としていない人の方が多いかもしれませんが、こんな詩集が世に産み出されたことがなかなか尊いような気がするので、ゆくゆくは翻訳によってでも、少しずつ世界に広まっていくといい、ぐらいには考えています。そういう思いを伝えるための言葉には、それこそ詩的な力というか気韻というかオーラが備わっていた方がいいはずですが、当ブログではその責を全うできないでしょう。だからと言ってただの伝達事項では、読み終わった時点でその言葉の役割は終わってしまうので、何かしらバツンと人々の心に楔を打って買う気にさせないといけない、という思いだけはあるのです。
 詩の言葉は、読み進めていく同時進行で感じるものもあれば、読んだ後に余韻として響いてくるものもあります。余韻が響くとは、意味ありげなだけの言い廻しですが、意味内容を汲み取りながら読み終えた後に、意味の網から漏れて溜まったものに気をそそられてしまう、といったような感じです。もちろんそれは詩だけでなくて、小説もそうだし、絵画や音楽や映画だって、作品と向き合っている時と離れた後では感じることは違ったりします。ただ、考えというのは言葉によって為されるし、詩は端的に言葉の芸術なので、言葉によって言葉を考えることの不思議さに向き合える表現形式は詩と小説です。さらに言えば、登場人物の名前とかストーリーの展開に気を取られない分、詩の方が言葉についていっそう混じり気なく考えることができるように思えます。
 古溝さんは当店が場所を貸している詩の会を主宰していて、それがもう4年ほど続いています。ウチの開業当初に「景気づけに何か詩のイベントでもやってくれや」と、そんな言い方ではなかったと思いますが、古溝さんにお願いしたのが始まりです。書いてきた詩を黙って読み合って、その後何かしら意見を言うという割に素朴な会です。自作の批評に激昂した詩人が、手近の欅の敷板で隣りの詩人をぶん殴るといった事件が起こらないのは、ひとえに古溝さんの人柄でしょう。このたび刊行された古溝さんの詩集には、主にその会に合わせて書いた詩が載っています。静かに蓄えられてきた言葉が一冊の本として世に出回るのは、熟成した豆をゆっくり抽出した水出しコーヒーが、ようやく一杯分になったような感慨です。実際、古溝さんの詩には、ぽたぽたと少しずつ言葉が零れ落ちてくるのを待って、紙面を埋めていくような趣きがあると、自分は思っています。

たとえば「ある祝日」からの一節

人が床を踏んで暮らす
よりすこし高いところに猫は寝ている
カーテンの向こうの
張り出し窓
生きていればひとまず音でわかる
震えているのでわかる

雨が降っている
子は黙ったまま


 詩人の刻々と過ぎゆく毎日の生活の水平面の現在を、自動詞が垂直にすっと貫いていくリズムが、紙面に独特の倫理を構成しているような気がします。不用意な形容詞や聞きかじりの固有名詞によって汚されていない感じです。いかにも矢継ぎばやに作を物することができない詩風です。だからこそ、やっと結晶化したこの本がことのほか貴重に思えてきます。日常を詠んで軽妙になりすぎず、晦渋にもならず、教訓っぽくせずに書くのは思っているより難しい仕事でしょう。
 そういえば古溝さん自身は尾形亀之助の詩が好きだそうです。尾形の詩は雑というか投げやりなように書かれていますが、たしかにそれは詩としか言いようのないものです。以前に存命の詩人で誰がイチオシか、みたいなことを聞いて教えてもらったのが馬野ミキでした。この人の詩も一見ぞんざいな書きぶりです。古溝さんは現代詩の言葉の布置結構に取り込まれないように用心しているみたいで、その態度はそのまま詩についての批評になっていると思います。古溝さんの詩は、日常に使われているままの言葉や言い廻しで普遍の端っこを摑んでいて、それは尾形亀之助の他に、八木重吉や小熊秀雄、さらには忌野清志郎の系列に連なるのではないかとさえ思っています。みんな早死にですが、べつの縁起が悪いということもないでしょう。

「黙禱」

パジャマパーティー?
そうだねえしようか
みんなぐたりと眠くなるまで
いまいるものもいないものもみんなで


古溝真一郎『きらきらいし』
七月堂 2019年1月22日発行
発行者 知念明子 印刷 タイヨー美術印刷 製本 井関製本
装画 古溝言理 帯文 滝口悠生 A5版本文88頁 1,500円















2019年2月2日土曜日

伊皿子坂でつかまえろ

 2.6(水)より中央区と港区を爽やかに繋ぐ痛快古物買い廻り企画『点店』が始まります。ノー・コンセプトさんがお引っ越しということで一時中断していましたが、下町と山の手の分水嶺、まさしくゲートウェイ的雰囲気を濃厚に漂わす土地・高輪泉岳寺にて同店が営業を再開。その寿ぎのムードが醒めやらぬうち、あえてニッパチに再始動と銘打っての開催です。
 住居兼店舗の物件なので、ふだんは予約制営業のノー・コンセプトさんですが、この時ばかりは特別開放で出入り自由。大いに自由を謳歌しながら港区と中央区の魔窟を繋いでください。加えて、店主の兼子さんが隠し持っていた私物をいよいよ開放するそうです!物に淫することに関してはあの六本木の大店の主をも凌ぐ、すでに半ば伝説と化している人呼んで非売の王、あの兼子さんが秘蔵の物を天下に晒すとなれば、何を差し置いても駆けつけないわけにはいきません。逆光としても店を放ったらかして、仕入に馳せ参じたいところです。というわけで皆さま、平成最後の立春、泉岳寺でお会いしましょう!


ノー・コンセプトまでの道。
都営浅草線 宝町駅から乗ったと仮定して。
品川・羽田空港方面の先頭車輛に乗るといいですね。

エスカレーター・階段を上って、改札。


ここを出て、

右手に行ってください。


階段を上がって正面を見ると、

横断歩道の先に聳える白亜のマンション。
ここの304号室がノー・コンセプトです!

泉岳寺で何か美味いものを食べなければ気が済まない方は
横断歩道を渡らず右に曲がり伊皿子坂を上りましょう。

途中、なか卯がありますが、ここはスルー。

急カーブの左手奥に見えるのが泉岳寺。

渡らずにそのまま坂沿いを進むと、

見えてくるのが老舗洋食屋『樫の木』の看板。

平日ランチはロースステーキとかピラフとかカレーとか。
だいたい1,300円。ふだんならこの半分以内で済ませたい
お昼ご飯ですが、ノー・コンセプトに来た記念にぜひ。 
何食っても美味い店です。              

2019年1月1日火曜日

羨ましきは鴉共に我が肉喰えやと言いたる詩人よ

 明けましておめでとうございます。旧年中の皆さまのご愛顧によって、恙無く新年を迎えることができました。心よりの感謝を申し上げると共に、本年がより良い発展の年となることを祈念して、まずは今年一回目のブログです。
 と言っても、新年恒例そこらをうろついてきただけのいつもの雑記です。しかも路面軌道でも敷いてあるかのごとく、毎度変わらぬ道筋を歩いているので、もはや言い立てることは何もないのですが、いくら反復といえど全く同一の現象が起こるわけもないので、その交換不可能性を信じて今年も漫ろ歩きをしてきました。
 まずは遅めの朝ご飯に、大納言小豆を煮たお汁粉にてエネルギーチャージを済ませました。年末に古い漆椀を手に入れたので、これでちょっと甘味を食してみたら小粋な事態が発生するのではと思って使ってみたのですが、特に何も発生はしませんでした。が、なにかしら好い事をしている錯覚に陥ることができるので、ぜひ皆さんにも試していただきたいと思います。現代科学では数値化できない微細な感覚が研ぎ澄まされていくような気がします。


右は東北の根来。江戸初期と言いたい古格。    
左の半筒型は北陸辺りでしょうか。江戸中期は   
ありそうです。                 
                   

 さて地元の神社にお参りしてから、わざと脇道を迷い込むように歩いてみたのですが、たいていの道がローマに通じているように、入り組んだ細い路もそのうち大通りにつながってしまいます。結局迷子になることもできずに、ふつうに明治通りをスタスタ進んでいきました。向島百花園の板塀を左手に過ごし道沿いに歩いて行くと、白鬚橋東詰の交差点あたりでニュージャーマンシネマ的な風景が心の中に広がります。何がそう思わせるのかは分からないのですが、早稲田松竹でヴェンダースの三部作を観た時の索漠とした気持ちが甦ります。

明治通り沿いに存在する中華料理屋。少し建物のパースが
狂っているようです。いつか入りたいと思いつつ果たせずに
いる場所。今はもちろん年始休み。           

白鬚橋手前。急に視界が開けて人工的な風景になります。



福原信三的風景 
堀野正雄的光景

 ふいに右手を見てみたらば、例年はなぜかスルーしていた石濱神社が目に入ったので、寄り道。ていうか、散歩なので直行も寄り道も関係ないですが。本殿が神明造で社格が高そうなオーラが漂っています。案内を見れば、神亀元年(724年)創建だと云うから、たしかに古いですね。境内には富士遥拝所とか庚申塚とかあって、古代・中世というよりは近世江戸の趣きをよく残しています。川沿いにあって、側にきれいな公園があって、なにより賑わいがあって、とてもいい神社です。

浅草名所七福神会の九社寺のひとつでもあります。




 一般に、日光を見るまで結構と言うな、バッハに行くまでブッフバルトと言うな(意味不明)と言われるとおり、人は生ある限りバッハに通ってしまうようです。初詣は毎年バッハに、という方も多いのではないでしょうか。泣きながら泪橋交差点を渡って左折したあたりで、今度はファスビンダー的な心持ちになるのを感じます。交番を過ぎ伝説の居酒屋を横目にやり過ごすと、バッハの看板が見えてきます。ここで働く人たちの水際立った動きは、己がいかに怠慢であるかを写す鏡です。そして毎度恐れ入りながらバッハブレンドとチョコレートケーキを注文するのです。ある種、身を浄める行為であると言えます。
 



 だけど人間の欲望というのは足ることを知らないから、せっかく浄められた身を「バッハもいいけどゴトーもね」という、どこからともなく聞こえてくる内的な声にたやすく穢されてしまうのです。浄めと穢れ、ハレとケ、光と闇・・元旦早々鬩ぎあう解けない二元論。というわけで、浅草寺を越え、花やしきを過ぎ、爽やかにフルーツパーラーゴトーに到着。正月は皆さん、他の飲み食いに気を取られているので、いつも混んでるゴトーもこの時ばかりは狙い目かもしれません。襟を正して「9種の果実の冬色のパフェ」というのを注文してしまったんです。もはや仕方のないこと、すべては遅すぎたのかもしれません。意味がよく分かりませんが。

この時期すべては冬色に染まります。人も風景もそして
パフェでさえも。9種の果実の冬色のパフェ。    
    洋梨、柿、りんご、いちご、ざくろ、紅まどんな、      
   べにばえ、西南のひかり、日向夏。            

 
 いったいどれだけ食べれば気が済むのか。ほとんど七つの大罪のひとつ「貪食」を犯している気がします。清新と堕落による両輪の永久運動。しかしそのつもりで出掛けて、その通り食べてきたのだから、すべては計画通りだったわけです。一年の計は元旦にあり。今年は幸先が良さそうです。それでは本年も何卒よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。

隅田川流れる岸辺 想い出はかえらず

インスタグラムもぜひご覧ください→👃







2018年12月28日金曜日

漆、音、物

 いったい何が納まったというのか、そんな疑問符を背負いながら、逆光は本日12月28日(金)が仕事納めです。ただいま『Oubai 漆・蒔絵展』を開催中で、年明けて1月4日(金)から6日(日)まで同展示を継続いたします。年またぎ爽やか企画です。Oubaiさんは年の瀬だというのに、仕入の旅に行ってしまいました。なので、4日には何か新入荷が並ぶかもしれません。動向を虎視眈々とチェックしておいてください。この辺の近代漆器は、時代が近すぎるために編年研究なんかも特にないし、高級品以外はぞんざいな扱いをされがちです。そのシーンにOubaiさんが単独で果敢にハードコア・モッシュを仕掛けました。工芸、骨董、民俗、産業など、様々な線が錯綜する場を切り拓いていくOubaiさんの土性っ骨にぜひ注目してください。
 その後は12日(土)にひとつ、コンテンポラリーアーティストの中島吏英さんのパフォーマンスを逆光にて行ないます。音を出すインスタレーションやパフォーマンスを主軸にして、ロンドンを拠点にヨーロッパや中国などで活動している作家で、今回のイベントは作品集『おとになるーー30個のオブジェと10分の音』(トゥルーリング刊)の刊行を記念しての言わばドサ回りであります。主宰は発行元であるカワイイファクトリー。八丁堀がにわかにバーゼルのように様変わりするかもしれません。
 最後になりましたが、本年もいろいろな方にお世話になりました。本当にありがとうございます。来年5月で開業5年を迎えます。ほとんど地面に接しているぐらいの低空飛行の態でここまで続けられたのは、言わずもがな皆さまのお蔭です。一日でも長く、あと35年ぐらいは続けたい、と欲深い年の瀬であります。それでは、どうぞ良い年をお迎えくださいませ。来年もよろしくお願い申し上げます。








2018年12月24日月曜日

八丁堀かくれ里伝説

 12.25(火)-28(金)/1.4(金)-6(日)年末年始の年またぎ痛快企画『Oubai 漆・蒔絵展』の準備が整いました。というか整ったことにしないと、いつまでもキリがないことこの上なしといった感じです。おもに明治・大正あたりの時代椀や盆や皿などが並びました。桃山・江戸初の古格があるわけでもなし、松田権六や北大路魯山人の際立った作家性、磯矢阿伎良や奥田達朗の明瞭な批評性を備えているわけでもない、半端物の扱いで専門に取り上げる業者もいないようなジャンルに、あえて決死のダイブを試みる骨董界の荒くれ七面鳥ことOubaiさんの入魂のワーク・イン・プログレスをこの機会にぜひご覧ください。 
 こんなにも漆器が並ぶ様は、『遠野物語』のマヨイガの話を思わせます。「牛小屋ありて牛多く居り、馬舎ありて馬多く居れども、一向に人は居らず。終に玄関より上がりたるに、その次の間には朱と黒との膳椀あまた取出したり。」
 このマヨイガの一節は、立派な門があって、庭に一面花が咲いて、鶏や牛馬がたくさんいて、という農家の理想的風景と思われる描写のあとに、漆の椀が出てくるのがおもしろいところです。椀貸伝説のような類型的な伝承然り、やっぱり漆器は富を象徴する威信財だったんですね。そもそもこの店が、なぜこんなところでこんな物を売ってるのかという隠れ里的ポジションですので、漆椀が山積みになってる光景は、案外しっくりきたりするものです。
 それと、昨年当店でも展示をしてくれた植木智佳子さんが、新川の魔窟「マレビト」にて『ギンエンの密約』という展示をしています。12.22(土)-30(日)13時-20時、最終日18時まで。逆光⇄マレビトは徒歩で7~8分。マヨイガとかマレビトとか、なにやら師走にとつぜん口を開けた柳田・折口的な異界への穴に迷い込んでみてください。