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2014年8月19日火曜日

知床余剰

 埼玉県川越のギャラリー、うつわノートの松本さんが8月10日のブログで当店、書肆逆光について書いてくださっています。もっとも当店についてのレポートというよりは、松本さんの心中を常に去来している思いの発露といったおもむきです。この店が様々な人のいろいろな考えを醸成する触媒の役割を果たす場になればなによりのことです。
 うつわノートは作家ものの器、当店は古本と古道具、扱うものは違えど不要不急の品を売るということにおいては同じ土俵に立っていると言えなくもありません。と言っても、うつわノートは番付でいえば既に東の関脇か西の大関ぐらいには位置している店で、将来の綱取りを嘱望されている存在です。内館牧子も横綱審議委員の退任前であれば、そう言ったはずです。比べて当店は序の口か、ことによったら番付外の前相撲といったところでしょう。ただこの業界、なにをもって勝敗が決まるのかが定かではないので、どうしたら番付が上がるのかはよく分かりません。せめて西前頭十三枚目ぐらいにはいきたいものです。
 松本さん曰く「必要なものが溢れると不必要。不必要なものがもたらす心の必要」。必要なものというのはまず衣食住ですが、それらが満たされても人間万事快調とはいきません。生命活動が功利的に全うされても、人はあんまり幸せを感じないようなのです。で、端から見るとどこかおかしなものに人は手を出すという。松本さんはこれをブログの中で「余剰」と言いました。350円も出せばスーパーで買える飯茶碗を、釉薬がどうとか薪窯がどうとか言って作家ものを20倍も出して購う。直しでつぎはぎだらけの桃山時代の盃に、一生に一度の出会いと思い込んで給料を丸々注ぎ込む。個人差や程度の差はあれ、人はどこか箍が外れた部分があるようです。では、人のそういう性質につけこんで成り立っているのが器屋だったり古物屋だったりするのでしょうか。そうではないと言えません。かと言って、あまり露悪的に開き直ると人相まで悪くなりそうなので、業種柄要注意です。
 このブログでいくら駄文を弄しても答えの出ないことを考えてしまいました。お店にお越しの際に、どうぞ皆さんの余剰を教えてください。


 
 
 
 
 
『蝋人形 第三巻第六号』
二葉書店 1948年6月1日発行
西條八十主宰の詩誌    
経年シミ、裏表紙少破れ  
裏表紙は西條八十作詞、瀧豊作曲の
「娘と白頬」の譜面        

表紙・目次カット 河野鷹思
カット 山本蘭村・北園克衛・横山薫次
アートワークの豪華な布陣に驚き。
執筆陣には城左門、岩本修蔵の名がある。

『黄蜂と花粉』の竹中郁も載せている。
余剰たっぷりの素敵なメンツ。   

SOLD OUT

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