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2019年5月27日月曜日

菴摩羅果

 早すぎた真夏の到来。まるで太陽がマンゴーパフェを食って帰れと叫んでいるようだった・・。というわけで大江戸骨董市の帰途、久しぶりに浅草のフルーツパラーゴトーへ行きました。それは炎天の行商を無事に終えた自分へのご褒美というよりは、これほど箍が外れた暑さの中でも商いに身を窶す己への贖罪行為と言うべきかもしれません。
 ゴトーの前は取り付け騒ぎに沸く信用金庫のような人だかり。しかし待つことも贖いのうちだと思えば、心静かに待つしかありません。とか言いながら、ウインドー越しに中で食べてる人の様子をすごい見ちゃいました。おばあさんがメロンパフェのメロンを静々と手に取ってスプーンで掬いながら食べています。自分だったら、志村けんのスイカの早食いみたいに食べてしまうところですが。思わず、志村〜!後ろ、後ろ〜ッ!と叫びたくなりました(意味不明)。
 注文は太陽によって予め決められていた通り、マンゴーパフェです。宮崎産の完熟、2,300円。そんな金があったら、何かおもしろい物でも仕入れてこいと思う方もいるかもしれませんが、その価格で天平の脱活乾漆像の残欠とか買えるわけでもないし、だったら旨いもの食ってエナジーを充填した方がいいやという、いわば開き直りの為せる業ですね。
 谷崎潤一郎の『吉野葛』の中に、熟れた美濃柿を食べる一節があります。あたかもゴム袋の如く膨らんでぶくぶくしながら、日に透かすと琅玕の珠のように美しい。と、ずくし(熟柿)と言われてふるまわれたその果実を谷崎は描写します。熟柿を供されて食べるまでのその一節は、食べ物の描写において日本近代文学史上屈指の美しさだと思います。岩波や新潮の文庫で簡単に読めるので、ぜひご一読ください。店の棚にも岩波版が一冊差さってました。谷崎は続けて、思うに仏典中にある菴摩羅果(あんもらか)もこれほど美味ではなかったかも知れない、と書きます。菴摩羅果とはまさにマンゴーのことで、その栽培は紀元前のインドで始まっており、仏教では聖なる樹とされています。実際、谷崎がゴトーでマンゴーパフェを口にしていたら、「ヤバい、こっちの方が美味いかも」と言ったかもしれません。
 長かった5月もようやく最終週。聖なる気力を充填してきましたので、お店にもぜひお立ち寄りください。



艶やかな橙色


浅草界隈の夕べ





2019年5月21日火曜日

気圧とは

 加齢によるものなのか、気圧の影響をダイレクトに被ることが、ここ何年かで増えてきたように思います。そうなると、なんでも気圧のせいにするのが人間の性というものです。店で睡魔に耐え切れなくなるのも気圧のせいだし、売上げの芳しくない日があればそれも気圧のせい、マルエツで買ったバナナを立て続けに4本食べてしまうのも、おそらく気圧の変化が大きく影響しているはずです。何気なく書き上げた『人は気圧が9割』(サンマーク出版)という本がスマッシュヒットを飛ばし、印税生活に突入するという妄想ももちろん気圧によるものです。それほどまでに人間生活に多大な影響を及ぼす気圧の変化にも負けず、店にはささやかながら新入荷の品物が並んでいます。実店舗にわざわざ足を運ぶことをしないというのが世の趨勢ではありますが、ある空間に身を置くというのは、定量情報以外の知見を浴びる体験でもあります。気がつけば5月も後半。気圧の上下動のさなか、無理のない範囲でご来店いただければ幸いです。


味のいい六つ目編みの籠、疵だらけの山形張子?の犬、
 クランクが取れた李朝とおぼしき漆塗りの墨壺、    
グラビュールで輪線が施された型吹きのコップ、   
出土寺院不詳の軒平瓦は珍しい文様。范型ではなく  
手彫りによる文様のようです。