ゴトーの前は取り付け騒ぎに沸く信用金庫のような人だかり。しかし待つことも贖いのうちだと思えば、心静かに待つしかありません。とか言いながら、ウインドー越しに中で食べてる人の様子をすごい見ちゃいました。おばあさんがメロンパフェのメロンを静々と手に取ってスプーンで掬いながら食べています。自分だったら、志村けんのスイカの早食いみたいに食べてしまうところですが。思わず、志村〜!後ろ、後ろ〜ッ!と叫びたくなりました(意味不明)。
注文は太陽によって予め決められていた通り、マンゴーパフェです。宮崎産の完熟、2,300円。そんな金があったら、何かおもしろい物でも仕入れてこいと思う方もいるかもしれませんが、その価格で天平の脱活乾漆像の残欠とか買えるわけでもないし、だったら旨いもの食ってエナジーを充填した方がいいやという、いわば開き直りの為せる業ですね。
谷崎潤一郎の『吉野葛』の中に、熟れた美濃柿を食べる一節があります。あたかもゴム袋の如く膨らんでぶくぶくしながら、日に透かすと琅玕の珠のように美しい。と、ずくし(熟柿)と言われてふるまわれたその果実を谷崎は描写します。熟柿を供されて食べるまでのその一節は、食べ物の描写において日本近代文学史上屈指の美しさだと思います。岩波や新潮の文庫で簡単に読めるので、ぜひご一読ください。店の棚にも岩波版が一冊差さってました。谷崎は続けて、思うに仏典中にある菴摩羅果(あんもらか)もこれほど美味ではなかったかも知れない、と書きます。菴摩羅果とはまさにマンゴーのことで、その栽培は紀元前のインドで始まっており、仏教では聖なる樹とされています。実際、谷崎がゴトーでマンゴーパフェを口にしていたら、「ヤバい、こっちの方が美味いかも」と言ったかもしれません。
長かった5月もようやく最終週。聖なる気力を充填してきましたので、お店にもぜひお立ち寄りください。
艶やかな橙色 |
浅草界隈の夕べ |
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