初夏のような昼の日差しから一転、花園神社に着くやいなや、つげ義春のゲンセンカン主人のひとコマのような風がビョウビョウと境内を吹き抜け、すでに何らかの演出が為されているかのような錯覚を受けます。鳥居の朱とテントの黒が奏でる禍々しいコントラストによって、一気に気分を非日常に持っていかれます。演目は『この世のような夢・全』。シノプシスを読めば、獣を屠る馬殺しの井戸、龍が棲んだ伝承を持つ池、赤い風車の館、老女優、飛行機乗り、囚われの少女の幻影、火山局の技師など・・何かそれっぽいことが書かれてはいますが、現実の芝居を前にして、記号の答えあわせのようなことをしても意味はなく、都度更新される驚きに身を任せるしかありません。
開演前に座長が、「こんなのは全部まがいもののバッタもんだ」といった口上を述べていましたが、たしかにまがいものにまがいものが連なり重なって、どこに本物があるのか探る間もなく終演まで連れていかれます。異界から齎された不可解なものという、これが藝能の原初的なあり方でしょうか。思えば、先日当店にて催された仔鹿のまなざしのイベントで行われた門付にも、そんな雰囲気がありました。日常空間であんなにやたら銅鑼や太鼓を打ち鳴らしていたら警察沙汰になりそうですが、あの場では猥雑な荘厳さを感じてしまいます。
もっと言えば、商いだって藝能の兄弟みたいなものですから、どこから持ち帰ったのか分からんようなものが並んでいたって構わないわけです。そのあたりは古物業において特に顕著かもしれません。そういえば、JINTAの長谷川迅太氏が5/2(火)〜7(日)に清澄白河の幾何で開催する『open studio at kika』には、その気配が濃厚に感じられそうです。「見た事もない手探りのモノ探しと制作」という途方もないキャプション。大型連休のどこか一日は、清澄白河に行くための空きを確保しておかなければならないようです。ついでに八丁堀の分も時間を割いていただけましたら、それは望外の喜びです。
なかったはずのものがあるという驚き。花園神社境内に 忽然と現れた黒テント。 |
当日はテント幕がバサバサと風に煽られていました。 不穏な見世物小屋のような。 |
本公演の前説のようにテントの外で行われる劇。 |
ここで何が行われるのというのか。公安部は すでに察知しているのでしょうか。 |
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