photographyと呼ばれるものに対して「写真」という訳語が定着した経緯には、諸々の事情があるようですが、photo(光)とgraph(画く)の直訳の「光画」の方を素直に採用しておけば、松井さんの作品などはいっそうよく解るはずなのになーと思います。photographyはレンズを通して結像した物体の反射した光が感光剤に焼き付けられて、それを現像処理して画として見えるようにしたものですから、まさに光の画です。真実を写しているかどうかは、また別の問題になるでしょう。
松井さんの作品の製作過程は何度聞いても覚えられないので、詳細を言う資格はないのですが、CGで作成されたモデルをOHPシートやライトボックスによって効果を出しつつ撮影するそうです。つまり被写体はデジタル技術で作り出されたのに、それをアナログ的な作業で撮るという工程を踏んでいるのです。あくまで対象が反射した光を定着させることにこだわるからこその工程。この手順に意義を感じられなければ、そんなのプリンターで出力しちゃえばいいじゃんと思ってしまうわけです。
写真という語には、被写体と撮影者の偶然の邂逅をカメラが記録するという意味が強く出ているためか、松井さんのような作品は邪道扱いされてハネられてしまいます。だからこそ却ってphotographyの方法論的・制度的な境界を明確に示唆している無二の存在だと思うのですが如何でしょうか。入手するなら今のうちです。これでドクメンタあたりに出品されようものなら、少しばかりの積立貯金ではもう手が届きません。ぜひ。
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